北緯1度の暮らし

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ゴーギャンとイトウエルマ

前々回からイトウエルマが続いている。才能のわりに露出が少ないのがファンとして不満だが、ブログが毎回おもしろくて愛読している。イラストはもちろん、読書感想文が秀逸である。

「ケーキの切れない非行少年たち」を読んで自分を振り返る | イラストで綴る日常

「ケーキの切れない非行少年たち」の著者は、社会には普通の人が普通にできることができない人(境界知能者)が一定数いて、非行に走る少年たちはそもそも普通の人とはモノを見ている視点が違うのではないか、(歪んでいるのではないか)と言っているらしい。そしてイトウエルマは、普通の人にない独自の視点というところからすると、大変な長所になるだろうにな、と書いている。

ところで、サマセット・モームの「月と六ペンス」が部屋にあったのを発見し、もうボロボロなので捨てる前にもう一度読み返している。ご承知のとおり画家のゴーギャンがモチーフとなっているモームの代表作であるが、あくまでフィクションであり、物語は実際のゴーギャンの人生とは異なる。ただゴーギャンが相当な変わり者だったということは本当らしい。証券取引所の株式仲買人の職を得て実業家として成功しながら、仕事も家族も捨て、画家として生くるべく浮世離れした人生を全うしたのである。

さてイトウエルマのブログを読んで、私はゴーギャンが境界知能者だったのではないだろうかと考えた。つまり、世間一般の常識に倣った生活への適応力がなく、普通の人にない独自の視点があったということだ。そういえばブッダ(お釈迦さま)も、地位や妻子を捨てて浮世から離れた人生を全うした人だった。後世に名を残すほどのこれらの大人物は、独自の視点があった一方で社会に適応できない境界知能者だったのではないだろうか。

そしてイトウエルマは「果たして私も境界知能者ではないのか」という疑惑を抱く。境界知能者の特徴に当てはまる項目がいくつもあり、会社員時代に苦労していたのだという。

かく言う自分はどうだろうか。私はまだ、自分の居場所を探し続けている。

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