草間彌生展 @ National Gallery Singapore
草間彌生のことはそれまで、「憑りつかれたように水玉ばかり描く人」という認識しかありませんでした。
日曜の朝に起きれるかどうかわからなかったので、オンラインでのチケット予約はせず、朝10時の開館時間を目標に National Garelly に向かったところ、すでにチケットカウンターには行列ができていました。
3階の展示会場に入場するのに入口でまた並び、インスタレーションを見るのにもいちいち並び、お昼に展示会場を出るまでのほとんどの時間を列に並んですごしました。
草間彌生が国際的に知名度が高く、海外にこれほどファンが多いとは知らなかったので、正直驚きました。
とはいえ、これが東京だったらこんなものではすまないんでしょうね。まして地方に住んでいたらもっと大変なことかもしれないし、素晴らしい作品に手軽にアクセスできるのはシンガポールならでは。
ところで National Garelly は2015年にオープンした新しいミュージアムですが、建物は旧最高裁及び市庁舎を再利用しています。1929年(ウォール街大暴落の年)に建てられたドーム付きコロニアル建築で、総床面積は約64,000平方メートルと、とても広いです。まあその割に展示品が少なくがらんとした印象はぬぐえないのですが、最高裁及び市庁舎として使用されていた時代のデザインがそのまま保存されており、建物としても興味深いです。
Natonal Gallery の内部を紹介するインタラクティブなサイトがとてもよくできているので、紹介しておきます。
「日本語がお上手ですね。」褒めたつもりが・・・
関係会社のオフィスの一部が、同じ階に引っ越してきて半月。日系企業なので、日本語ができるローカル社員もいます。
廊下やお手洗い、エレベーターの中で顔をあわせることも多くなり、挨拶したり、そのうち短い会話を交わすようになったりしますが、ある方とお話するうちに、敬語も使えて日本語がとても上手なので驚きました。
それで「日本語がお上手ですね」と褒めたのですが、なんと彼女、日本人だったのでした。
めっちゃ焦りました・・・
National Day の 国民ファッション in Singapore
National Day (8月9日、建国記念日)当日は、多くの国民がシンガポール国旗の色と同じ紅白の服を着ます。
ゆかたを着て夏祭りに出かける感覚に似ています。
シンガポール ○○ 50周年 1967-2017: NS50
昨日リハーサルを見に行けなかったので、写真は7月29日のものです。
その日はよく晴れた日で、National Gallery の上のバーでビールを飲みながら、戦闘機のアクロバット飛行、ヘリコプター、数百のドローンによるライトショー、そしてハイライトの花火まで堪能しました。
本番は 8月9日 の National Day ですが、当日は周辺まで大変混み合うため、リハーサルを見に行くのがおすすめです。
ところで 2015年は SG50 (建国50周年)、2016年は SJ50 (日・シンガポール外交関係樹立50周年)、そして今年は NS50 なんだそうです。
NSとは National Service、兵役のことなんですね。1967年 に兵役が始まってから今年で50周年なのです。
日本では自国の軍事力をアピールすることはタブーとされているようですが、国防のために厳しい訓練に耐え励む人たちを見ると胸があつくなります。よその国のことながら、理屈抜きにカッコいい。
今年の National Day のロゴは、兵役が始まった1967年に発行された10ドル札の絵柄にちなんでいるとのことです。当時のお札をよく見ると、組んだ腕の色が微妙に違っています。小さな国では、民族間対立こそがタブーなのであって、多様性を受け入れなければ愛国心を育むこともできないのです。
シンガポールにやってきたスウェーデン人 / Magnus Böcker
Business Times のトップにマグナス・ボッカー氏の顔写真が載っていたので、あれ珍しいな、と思いつつ記事本文に目をやった瞬間、はっとしました。
2017年7月26日、癌で亡くなったとのことでした。
まだ55歳という若さに加え、フルマラソンを走るスポーツマンというイメージもあったので、本当に驚きました。
スウェーデン生まれのボッカー氏は OMXで頭角を現し、若くして証券取引所業界で国際的に活躍してきました。シンガポールに来る前まではNASDAQ の President でしたが、8年前の2009年、シンガポール取引所(SGX) のCEOに就任するため一家でシンガポールに移り住みました。
2015年にSGXを退任しましたが、ボッカー氏はその後もシンガポールに住み続けていました。
北欧生まれのボッカー氏は、一年中太陽がさんさんと降り注ぐシンガポールが気に入ったのだと思います。
大胆なアイデアを次々実行に移す聡明なビジネスマンでしたが、SGX時代に手がけたプロジェクトの多くは不発に終わり、シンガポールでの評価は芳しいものではありません。
死亡を伝える地元紙の記事にも「シンガポールの発展に貢献した」とは決して書かれておらず、むしろ業績についてはネガティブな言い回しがなされています。
まさに三顧の礼でシンガポールに迎えられたに違いありません。しかし、結果を出さなければどんな言い訳も通用しません。
シンガポールに来たことに、後悔はなかったと思います。
しかしそのストレスも、想像を絶するものだったと思います。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
この世界の片隅に / In This Corner Of The World
遅ればせながら、プラザシンガプーラで「この世界の片隅に」を観てきました。
早いもので在星20年近くになりますが、8月6日の意味、ピカッとした閃光、きのこ雲、玉音放送のシーンが一目で理解できる自分はまぎれもなく日本人だと認識させられました。
また日本の戦争時代をモチーフにした映画がシンガポールで上映されることの意義深さも感じました。
小国シンガポールでは、日本による占領時代を決して忘れないよう愛国心を植え付ける教育に熱心ですが、小国が生き残るために多様性を受け入れる教育にも熱心なのです。
歴史から学び、芸術を評価することは、国民にとって、ひいては国のためになるのです。