北緯1度の暮らし

書きたいことを書いています。

楽しいことをして生きる

お金が充分あっても幸せじゃない人がたくさんいる。成功していると思われている人が、ある日突然自殺する。そんな人たちの気持ちが、どうしても理解できなかった。私は、お金の心配をしなくていい人生にずっと憧れていたから。もちろん、お金では買えないものだってあるだろう。でもお金でたいていのストレスは解決できるし、人生における最大の心配事は、たいていの人にとってやはりお金ではないだろうか。

歳を重ねて、できるだけストレスを感じないよう、うまくやりすごして生きていく術を少しずつ身につけていった。今では、わりと自由にお金を使うことができるし、欲しいものをガマンすることが少なくなった。現在流行中のCOVID-19対策として市民の行動が制限されたことも、出費抑制に効いている。恐ろしい世界的パンデミックは、思いがけず今までの生活を見直すよい機会となり、私にとっては怪我の功名と言える。ふと気がつくと、これってものすごく幸せなことなんじゃないだろうか、そう思ったのだ。

「ちきりんの日記」を書いている社会派ブロガーのちきりんのブログやTwitterを何年も愛読していながら、先日Voicyを聴いて衝撃を受けた話を前回書いた。何がそんなに衝撃だったかというと、多くのブロガーやユーチューバーがより価値の高いコンテンツに課金しようとする中、ちきりんは逆のことを考え、実践しているのである。

(2020年10月23日放送)2020/10/22 #028 何を有料にするかという基準/ Voicy - 今日を彩るボイスメディア

それは世間一般とは真逆のやり方であるにもかかわらず、ちきりんの説明を聞くと、まるで理にかなっているのである。なぜなのか。常識の逆を行っているのに、ちきりんの言っていることは至極正論に聞こえる。なぜなのか?社会の常識が間違っているということなのか……?

私の答えはこうだ。フォロワーの多いいわゆるインフルエンサーと呼ばれる人々も含め、大多数の人々は、お金を稼ぐことを主眼においている。もちろん、みんながみんなお金のために自己犠牲を強いているわけではない。インフルエンサーと呼ばれる人々は、自分の好きなこと、得意なことをしながら稼ぐのがとても上手だ。だが結局のところ、目指しているのは収入を上げることだろう。

一方、ちきりんは、(もちろん生活コストや娯楽費を賄うための効率的な収益化を重視しているものの)、彼女の最終目的はお金ではない。ちきりんが常に意識していることは、「楽しいことをして生きる」ことなのだ。

今、私は、若い頃には考えられなかったような生活をしている。全く不幸ではない。とても幸せだ。満足している。今は。

だが、今の幸せが死ぬまで続くとは限らない。人生いつ何が起こるかわからないし、たとえ何も起きなかったとしても、老いは必ずやってくる。この先、どんな不運に見舞われようとも、再び起き上がれる人間になるためには、「楽しいことをして生きることができる技術」が大事なんじゃないか。

だから、これを書いている。

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Sports Hub (競技場)に燃える聖火